八代俊二、かく語りき。 初めて引退表明した我らがハッチ、ここに彼が長い間秘めていた胸の内を赤裸々に告白する

全日本選手権も終盤に差し掛かった第13戦。鈴鹿国際レーシングコースでは、決勝に向けて熾烈な予選ラウンドが行われていた。ラップタイムを切り詰めようと、張り詰めた空気がコースを襲う。ライダーはアクセルを握りしめ、たったひとつのラインをトレースしてゆむ。いつもそうだった。このコースはライダーの情熱が弾ける舞台だった。これまで、きらめく星の数ほどの戦いが、このコースでは演じられてきた。この日、コースサイドには静かな表情をたたえた八代俊二の姿があった。コース上の緊張感とはまったく違う雰囲気を漂わせる八代、フラリと現れ、後輩の走りを静かにそして優しげに眺めている。その視線は、かつてこのコースを激しく攻め立てていた自分を思い起こすかのように、遥か彼方をみているようだった。

パドックで出会うかつての僚友にも気軽に、優しく応じている。そんな八代俊二はパドックの喧騒のなかにあって、まったく別の雰囲気を纏っていた。とても静かな存在感だけが、彼の周囲に漂っている。かつて今日と同じこのコースを、怒涛の闘志で駆け抜けていた彼。コースを掛け抜けるライダーに八代の姿がオーバーラップするとき、過ぎ去った時の流れがことのほか大きく感じられた。「自分の身勝手なのはよくわかっていたけれども、もう走れなくなってしまった。技術的な面では衰えたとは思わないが、あの状態では走り続けることはできなかった」走ることに常に付きまとう危険。それが実際大きく自分に迫ってきた。あのまま走り続けることは、自分にとって余りにもリスクが大き過ぎたから、もう断念するしたなかった。こうなった原因は、やはりチーム体制を固めることに失敗した結果だと思う。自分でチームを作らなければならなくなった昨年のオフに、もう少し余裕があったらという後悔はあるかもしれない。時間を第一とした物理的な余裕があれば、もう少ししっかりとした体制が作れたかもしれないからだ。しかし、実質的に動き始めた12月からでは、物理的に無理があったと思う。それがシーズンを経るに従って表面化し、走ることのリスクばかりが心を支配していった。だから、結果的には引退することになってしまった。もう、僕の力ではどうすることもできなかった・\\\\\\\\\\

続く・・・・・・